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捨て印

よく「捨て印として、ここに押してください」というようなフレーズを聞きませんか?

この「捨て印」とは、後々、契約書の内容に間違いがあり、訂正する必要が生じた時などに訂正印をあらかじめ欄外に押す印をいいます。

契約書にも訂正すべき点などがでてくるのは、よくあることなので、捨て印は便利な方法です。しかし、この捨て印を悪用することも可能です。ですから、信用できる間柄以外では絶対に押してはいけません。

捨て印に関連したこぼれ話



捨て印といえば、1376年の明で発生した内部粛清事件である「空印(くういん)の案(あん)」が有名です。ここでいう「案」は、政変や粛清につけられる文字で、空印の粛清といってもいいでしょう。

当時、官僚が地方と中央の間で書類をやり取りする中で、間違いが途中で見つかった場合、それを差し戻して、再提出させるなどのやり取りしていると、とてつもない時間がかかるという問題を解決するため、いわば捨て印を押しておくこと(これを空印)が慣習となっていました。この空印があることで、途中での書類の訂正を可能にすることができ、文書管理上の効率化ができました。

しかし、この空印の慣習を洪武帝(朱元璋、明の建国者)は、不正の元凶であると激しく非難し、明帝国の各地の役所の長官、さらに、公印を保管する責任者を一律に死刑としました。

この空印の案は、純粋に洪武帝が政敵を弾圧するための政争的なイベントであり、空印が諸悪の元凶であるというのは的外れな指摘でしたが、悪用しようとすれば可能な「穴」であることは確かです。

ちなみに、洪武帝が行った一連の粛清は「明初四大案」「洪武四大案」などといわれ、政権中枢の人びとのみならず、官僚、知識人、民衆といった膨大な人びとが粛清され、数十万人の命が奪われたともいわれています。主な粛清は、空印の案(1376年)、胡惟庸の獄(1380年)、郭桓の案(1385年)、林賢事件(1386年)、李善長の獄(1390年)、藍玉の獄(1393年)です。